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2008年10月

2008年10月19日 (日)

雑穀ダイエット 豆サラダ

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雑穀トリオをいれた豆のサラダです。

■作り方
1.雑穀トリオ(きび、粟、アマランサス)大匙1を軽くゆすいで、水から5分間炊き、炊き終わったら軽く水で濯いでぬめりを取る。

2.インゲン大5~6本、ニンジン1/2本を茹で、1cm角に切る。

3.ヒヨコマメ、キドニービーンスの缶詰1/2は、缶から出し、軽く水で洗う。

4.ベーコン(塊)を1cm角に切る。(量は好みで。お肉が好きな方はたっぷり目に。)

5.ボールに雑穀トリオ、インゲン、ヒヨコマメ、キドニービーンス、ベーコン、タイム(生)少々を入れよく混ぜる。

6.ドレッシング:タマネギみじん切り1/4個、オリーブオイル大匙3、ワインビネガー大匙1、塩、黒胡椒でドレッシングを作る。

7.ドレッシングとボールに入れた豆たちを混ぜて、冷やして出来上がり。

この日は、アマランサスを大匙2としてしまい、少し日向臭いサラダになってしまいました。

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エンダモロジー

エンダモロジーを始めることにした。
きっかけは、週1~2回行くスポーツクラブにそのコーナーがあるので。

先週、お試しコースをやってみたら、椎間板ヘルニア発症以来なかなか取れない足のむくみがかなり取れ、何年ぶりかでとても心地良い足心地を体験した。

加圧式トレーニングも興味があるけれど。。。

とりあえず、普通のウエイトトレーニングとエンダモロジーで頑張ることにした。
その他には、週1~2回のホットヨガ、週2時間のエアロビクスで、先週から週2回くらいはちゃんとお弁当を持ってゆくことにした。
まっ、お酒を止めればこんな苦労はしなくていいのは分かっているんだけれどね。

土曜日に2回目のエンダモロジーをやったら、背中は効果が出やすいということだけど、本当に背中がすっきりして来た。ウエスト周りは『時間がかかりますよ』と言われたので、少しショック。

2回の体験では、マッサージのように強い刺激ではないけれど、疲労やコリもかなり回復する。かのジダンも、試合の前後に利用していたと言う。 

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甘苦上海 高樹のぶ子 (日経の新聞小説)

京さんがかっこよすぎる。 40間近でこんなかっこいい人いるんだろうか?
容姿はかなりいい。絶対デブではない。マッチョでもないけれどスタイルはいいはず。そして先日はなんと坂本龍一の「戦メリ」をピアノで弾くのだ。
40間近でこんな洒落た会話ができるだろうか。しかも、子持ちのくせに、程よく紅子に甘えている。
本当に小説ってありえない設定で物語が進むんだな。でも、いまのところ面白い。

正太の話(望郷への道)があまりにベタで辟易していたので、すがすがしい朝を迎えてる今日このごろ。

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2008年10月10日 (金)

阿片王 佐野眞一 その2

呆れてしまう。
人の家に土足で上がりこんで、やりたい放題やって、しかもそれが自分の家の繁栄のための実験だったってこと、日本はやっていたんだな中国で。知識として知ってはいたけれど、これでは、ロシアのグルジア侵攻、セルビアのコソボ侵攻、古くはイラクのクェート侵攻など、責めることはできないと思う。いや責めてもいいけれど、日本もこれだけの事をしていたという認識が必要だと思う。

どんなに、私利私欲に淡白であっても、里見甫の中国でやったことは許されるものはない。ただ、こういった醍醐味、スリル、緊迫感を感じる『仕事』には阿片と同じ魔力があると思う。自分はこんな器量はないけれど、自分がこの立場だったら倫理観を盾に、「絶対やらない」とは言えない。

梅村うた、梅村淳の謎に満ちた生涯。おそらく淳は性同一性障害だったんだろうな。レズとかセックスに対する佐野眞一さんの捕らえ方が、団塊の世代チックで偏見的なのは面白い。
でも、この二人の写真を見ると、なんとなく似ていて、最後にこの二人の姉妹説があったが、「さもありなん。」って感じ。
ただ、パワフルな女性だったことは確かで、今なら起業家でバリバリやっているのではないだろうか。

最初は、人間関係がまったく頭の中で組み立てられず、苦労したけれど、今最初の部分を読むと面白いように頭に入って行く。1.5回読みくらいしようと思う。

佐野眞一さんの取材は、鬼気迫るほど徹底しているが、狂言回しのような伊達に対する態度、感想を読むと救われるような気がした。最後のあとがきが全体を引き締め、この救いのない物語の唯一の救いのような気がする。

また、読みたい本が増えた。

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株価大暴落

凄いことになってきた。1万ドルは割るだろう、8,000円台になるだろうとは思っていたけれど、イザなってみると、とても大変な事態らしい。実体経済への影響というのが怖い。
ただ、私でも予想できたのだから、大方の人は来るべきモノがといった感じではないだろうか。

我が家の少ない資産も激減中。ここは底値を見極めねば。。。

それにしてもドラッガーはすごい。
以下Peter F. Drucker 『Financial Services:Innovate or Dir』 1999より

So more and more of the income of the top firms-whether owned by American, Germans, Dutch, or Swiss-no longer comes from fees that clients pay for service. It comes from trading for the firm's own account-in stock and bonds, in derivatives, currencies, and commodities.

But when trading for a firm's own account becomes the major activity, it ceases to be "trading" and has become "gambling". And no matter how clever the gambler, the laws of probability guarantee that he will eventually lose all he has gained, and then a good deal more.

In every single one of these trading losses, the firm's top management has claimed that it knew nothing of the gambles, and that the gambling trader violated the firm's rules.

No industry can survive, let alone prosper, unless it is paid for service rendered to others, that is, to outside clients and customers. But the customers of the financial firms that trade for their own account are other financial firms trading for their oun account. And this is a "zero-sum game" with one firm's gains being another firm's losses- and nothing left over to pay either's expenses.
ホントにゼロサムゲームだったんだよね。 この前半、最初に読んだとき、『これからはちょっと違うんじゃない?』って思った記憶がある。1999年ですよ。こんなこと言っているの。

Druckerのような真の知性とか理性に触れると、読了した『阿片王』の里見甫なんて、本当に卑小な人間だと思う。満州国に群がった全ての人びとの矮小さがやるせない。

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2008年10月 4日 (土)

阿片王 佐野眞一

まだ、読んでいる途中。

三分の一くらい読んだが、呆れるというかなんというか。
核兵器を作って、麻薬を売り、隣国の国民を拉致する北朝鮮を『ならず者国家(rogue nation)』と呼ぶけれど。
フセインのイラクを『ならず者国家』と呼ぶけれど。
リビアも含め、可愛いもんに思えてしまう。60~70年前のわが国と較べると。

別に英国を責めるつもりはないが、中国では日本は英国の真似をし、そんな日本を見ていた北朝鮮はそれは真似している。。。

道徳とか正義とか人間の理性とか理知とかそんなものが木っ端微塵に吹っ飛んでしまう。
そんなものをあざ笑うかのように、歴史を作った人々。その後に続く名も知らぬ人びとの累々たる屍は、人権だとか平等だとか言うものは『概念』でしかない空しいものだと語っている気がする。

人は何に充足感を求め、人生の意味を感じるのだろう。
少なくとも私が感じる『幸せ』といったものではないのだとも思う。

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源氏物語の時代 山本淳子

源氏物語を読み解くうちに、『何故、これは不敬罪にならなかったのか?』という疑問から「一生にこの本だけは出したかった。」という思いで著した本だという。
フィクション(小説)とは違い数々の古典から読み解いた歴史、事実、こうであったであろうという精緻な推論、定子や彰子が生き生きと描かれ、山本さん自身「彼女達の気持ちになって、乗り移ったように書いた。」というだけあり、とても面白かった。

定子を取り巻く環境の知的レベルの高さ、高い知性を身につけるべく勉学に勤しむ平安時代のキャリアウーマン達。一瞬、現代と錯覚しそうになる。
一条天皇、定子、伊周のつかの間の団欒の様子がまるで今見ているかのように現れ、やがて来る中関白家の没落の悲劇が痛々しい。
彰子が敦康を立太子させようと父道長に何度も訴える場面は涙がでてきた。『彰子の覚醒』というタイトルだが、覚醒したがための深い悲しみがわかる。

個人的には大塚ひかりさんの『身体で感じる源氏物語』より、より強く身体、心に訴えるものがある。

このような状況で、清少納言が『枕草子』を著し、紫式部が『源氏物語』を著したのは偶然ではなく、ある意味必然だったのだということが分かる。
『源氏物語』のスケールの大きさがわかる。
今年、源氏物語は1000年を迎える。今後1000年たって、燦然と輝き続ける書物というのはどんなものだろう。自分はそんな書物を今手にしているのだろうか?

『枕草子』の『上にさぶらう御猫は』というくだりを思い出すシーンがあった。中学のころ、教科書の授業は殆どやらず、中2の頃は、ひたすら『枕草子』を暗証させた先生がいた。その中にあったんだ。かわいそうな翁丸の話が。
ネットで一気に読んで、ヒクヒクしてしまった。
それにしても、拾い読みをしていると、清少納言の感受性は、改めてドキリとさせる。大塚ひかりさんの訳が出る前に、『枕草子』を読もう。

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